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...... 2020年05月05日 の日記 ......
■ 《 最後のロマン主義者 》   [ NO. 2020050501-1 ] e_co

【 チェロ協奏曲 イ短調 Op. posth 】

プフィッツナー,ハンス 〔独〕
(1869.05.05〜1949.05.22) 80歳



プフィッツナーは、151年前の5月5日に
モスクワで生まれた。
音楽家だった父から音楽を学び、音楽院を
卒業後は教師となったが、1908年から18年まで
シュトラスブルク市の音楽監督と同市の
音楽院院長をつとめた。
 
20年からは、ベルリン芸術アカデミーで、
その後はミュンヘン音楽院で教えた。

23年にプフィッツナーが入院したとき、
政権をとる前のヒトラーが訪問し、
「私は政治の舞台でドイツの復興に努力しているが、
プフィッツナーもドイツ音楽の復興のために
戦って欲しい」と言ったといわれている。

しかし、ヒトラーが政権をとると、ナチスの命令により
音楽活動を制限されるようになった。
47年10月、プフィッツナーはナチスの活動に
加担したとして、一級戦犯との訴状が提出された。

プフィッツナーはナチス党員ではなかったし、
音楽活動を妨害され、作品の上演も禁止されて
いたことなどの理由で、無実の判決がくだされた。

彼の芸術を記念し、普及することを目的とする
プフィッツナー協会が1950年に設立されている。

80歳の誕生日を祝ってまもなくの5月22日に、
ザルツブルクで亡くなったプフィッツナーは、
ウィーン・フィルハーモニーの発起で、
ウィーン中央墓地の名誉墓所に葬られた。

プフィッツナーの音楽様式はシューマン、
ワーグナーなどのドイツ・ロマン派を基盤としていて、
「最後のロマン主義者」と呼ばれている。

「チェロ協奏曲イ短調」は、2曲かいている。
遺作となった「作品52」は、彼の晩年の
1944年に作曲し、その年の3月23日に
ゾーリンゲンで初演された。

学生時代の1888年に友人のために書いた
「チェロ協奏曲イ短調」(作品番号なし)は、
生前には出版されなかった。

この作品は楽譜を紛失したと思われていたが、
1975年になってからウィーンで発見され、
1977年に初めて演奏された。

「作品52」は56年前の作品を、記憶に基づいて
書かれている。

重く深く考え込んだようなノスタルジックな作品で、
シューマンのチェロ協奏曲の影響も感じさせる。

    第1楽章 Andante molto sostenuto - Allegro
    第2楽章 Adagio molto tranquillo



(チェロ)エスタニッフェン・エッカー
(管弦楽)ニルンベルク交響楽団   
(指揮) ヘルマンデ・ハント    
       ♪ 私が聴いた音源 ♪


【 チェロ協奏曲 イ短調 Op. 52 】は、
2020.05.06に掲載



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