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...... 2020年01月02日 の日記 ......
■ 《 初登場 》   [ NO. 2020010201-1 ] e_or

【 リヒテンシュタイン行進曲 Op. 36 】

ヨーゼフ・シュトラウス〔墺〕
(1827.08.22〜1870.07.21) 42歳



今年の「ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサート」の
指揮は初登場のアンドリス・ネルソンスだった。

演奏曲目は、今年が生誕250年のベートーベンと
没後150年になるヨーゼフ・シュトラウスの曲など、
初登場の曲が9曲と全部で18曲の作品で
構成されていた。

プログラムの3曲目に演奏されたのが、
ヨーゼフ・シュトラウスが作曲した
「リヒテンシュタイン行進曲」だった。

この曲は、1857年5月にウィーンのヘルナルスに
おいて農業協会の創立50周年を祝して
オーストリアの農夫と地主のための祭典が
開催され、それにあわせてヘルナルスの
ウンガー・カジノでは、同協会のかつての代表者が
参加してフェストコンサートが開かれた。

アイリス・リヒテンシュタイン侯が同協会の
代表としての職務を務めた業績を祝して、
ヨーゼフが披露したのが、
「リヒテンシュタイン行進曲」だった。

ヨハン・シュトラウス一世の次男のヨーゼフは、
にウィーンで生まれた。
おとなしい性格で、音楽も好きだったが、
父の意志に従って建築技師となり、仕事の余暇には
発明に没頭して、特許を申請したりしていた。

26歳のときに兄のヨハンが過労で倒れ、
代理指揮者として舞台に立つようになり、
その後、本格的に作曲の勉強を始めた。
詩、絵画には深い造詣を持ち、
後に作曲に生かされている。

兄のヨハンは陽気でおしゃれで、短気で
行動的だったが、ヨーゼフは静かで、内気で、
無口で、兄とは全く対照的な性格だった。 
音楽的才能は非常に豊かで、ヨーゼフの
指揮は好評で、特に女性たちから支持されていた。

ピアノの小品と舞踏音楽に専心し、280曲以上もの
作品を作曲しているが、兄とは違い社交的でなく
孤独を愛する性格だったせいか、
短調の作品が多い。

神経質なヨーゼフは、突然の母の死で
ひどいショックをうけ、気がすすまないワルシャワでの
演奏会の指揮をしているときに指揮台から
転がり落ち、後頭部を強打して失神した。

妻とヨハンがかけつけてウィーンに運んだが、
これが結局彼の命取りとなり、脳卒中で世を去った。

長生きをすれば、兄以上にすばらしい作曲家に
なっていたかもしれないと、兄自身が認めていた。

ヨーゼフはウィーンで「舞曲のシューベルト」と
呼ばれていたが、彼の音楽の源泉はシューベルトだった。



    (管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
    (指揮) アンドリス・ネルソンス
              ♪ 私が聴いた音源 ♪




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