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...... 2019年05月25日 の日記 ......
■ 《 バレエ音楽 》   [ NO. 2019052501-1 ] e_or

【 日本組曲 Op. 33 】

ホルスト,グスターヴ 〔英〕
(1874.09.21〜1934.05.25) 59歳



イギリス国民から「ヘンリー=パーセルの再来」
とまでいわれ、最も敬愛されていたホルストは、
139年前の9月21日にイングランド中部の
チェルトナムで音楽家の家系に生まれた。
父は教会のオルガニスト、母はピアニストという
音楽一家の中で育った

パーセル(1659.09.10〜1695.11.21)

ホルストは、作曲に興味を持ったが
両親はピアニストにしようと思っていた。
しかし、18歳のときに持病の右腕の神経炎が
悪化し、ピアニストの道は絶たれてしまい、
その後、本格的に作曲家の勉強を始めた。

音楽院を卒業するころには東洋哲学に関心をもち、
古代インドのサンスクリット文学や宗教を研究し、
その英訳もしている。

敵がないといわれるくらい円満な人格者で、
1905年からロンドン近郊のセント・ポール女学校での
音楽科主任をつとめながら、
あらゆるジャンルの音楽を作曲した。

49歳のときに指揮台から転落して脳震盪をおこし、
しばらくその後遺症に悩まされ、作曲家としての
人気は下降していったが、逆にゆとりをもって
新しい音楽の創造に明け暮れた。

1932年ハーバード大学の客員講師として招かれて、
アメリカに渡ったがその直後、病に倒れてしまった。
しかし、闘病生活の中でも
積極的な音楽活動を展開した。
帰国後の1934年5月25日に、出血性胃潰瘍のため
ロンドンで59年の生涯を閉じた。

彼の一人娘のイモージェンも作曲家、
ピアニスト、合唱指揮者、教育家として活動し、
父に関する著書も書いている。

在学中にボーン・ウィリアムズと知り合い、
終生変わらぬ親友だった。

バレエ音楽の「日本組曲」は、日本人ダンサーの
伊藤道郎の依頼と協力により書かれた。
日本の民謡の旋律が用いられ、6楽章からなる。

     第1楽章 Prelude: Song of the Fisherman
     第2楽章 Ceremonial Dance
     第3楽章 Dance of the Marionette
     第4楽章 Interlude: Song of the Fisherman
     第5楽章 Dance under the Cherry Tree
     第6楽章 Finale: Dance of the Wolves



        (管弦楽)ロンドン交響楽団
        (指揮) エイドリアン・ボールト
             ♪ 私が聴いた音源 ♪





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