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...... 2019年05月05日 の日記 ......
■ 《 劇的な歌曲 》   [ NO. 2019050501-1 ] v

【 歌曲「月に寄す」 Op. 18 】

プフィッツナー,ハンス 〔独〕
(1869.05.05〜1949.05.22) 80歳



作曲家、指揮者のプフィッツナーは、ドイツ人を
両親に、150年前の5月5日にモスクワで生まれた。

音楽家だった父から音楽を学び、音楽院を
卒業後は教師となったが、1908年から18年まで
シュトラスブルク市の音楽監督と同市の
音楽院院長をつとめた。
 
20年からは、ベルリン芸術アカデミーで、
その後はミュンヘン音楽院で教えた。

23年にプフィッツナーが入院したとき、
政権をとる前のヒトラーがお見舞いに訪れ
「私は政治の舞台でドイツの復興に努力しているが、
プフィッツナーもドイツ音楽の復興のために
戦って欲しい」と言ったといわれている。

しかし、ヒトラーが政権をとると、ナチスの
命令によって音楽活動を制限されるようになった。
47年10月、プフィッツナーはナチスの活動に
加担したとして、一級戦犯との訴状が提出された。

しかし、プフィッツナーはナチス党員ではなかったし
音楽活動を妨害され、作品の上演も禁止されていた
ことなどの理由で、無実の判決がくだされた。

彼の芸術を記念し、普及することを目的とする
プフィッツナー協会が1950年に設立されている。

80歳の誕生日を祝ってまもなく、オーストリアの
ザルツブルクで亡くなったプフィッツナーは、
ウィーン・フィルハーモニーの発起で、ベートーベンや
シューベルトの眠るウィーン中央墓地の
名誉墓所に葬られた。

反モダニズムを自称し、保守主義を押し通そうとした
プフィッツナーの音楽様式は、シューマン、ワーグナー
などのドイツ・ロマン派を基盤としていて、
リヒャルト・シュトラウスと共に「最後のロマン主義者」
と呼ばれている。
プフィッツナーは5歳年下だが、二人は
同じ年に亡くなった。

1906年の作品で、ドイツのバリトン歌手の
フィッシャー=ディースカウが愛唱している
「月に寄す」は、ゲーテの詩によるもので、
光りをなげかけてくれる月に向かって、自分の
心の内を語りかける極めて劇的な曲である。



    (バリトン)ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
    (ピアノ) コルト・ガルベン
               ♪ 私が聴いた音源 ♪





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