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...... 2019年04月14日 の日記 ......
■ 《 イタリア風 》   [ NO. 2019041401-1 ] e_or

【 組曲「水上の音楽」HWV348-350 】

ヘンデル,ゲオルク・フリードリヒ 〔独〕
(1685.02.23〜1759.04.14) 74歳 白内障



ヘンデルは、バッハの生地アイゼナッハと同じ
中部ドイツのハレで、バッハより1ヶ月前に生まれた。

バッハの家系は、ヨハン・セバスチャン・バッハから
四代前の十六世紀末から、息子たちの世代である
十八世紀の末にいたるまで、200年にわたり
50人以上の音楽家を輩出しているが、ヘンデルの
家系には父方にも母方にも音楽家はいなかった。

バッハは一生の間、ドイツ以外に足を踏み出した
ことがなかったが、ヘンデルは若くしてイタリアで
オペラを学び、さらにイギリスに渡ってそこを
第2の故国とし、この世を去ったのはロンドンだった。

72歳ごろから白内障のため作曲が出来なくなったが
コンチェルトの指揮や、オルガン・コンチェルトの
演奏で活躍していた。

最後の演奏会の一週間後の4月14日、
受難の土曜日に、静かに世を去った。

1707年にはイタリアにわたり、後に
ハノーヴァー選挙候の宮廷楽長を勤めていたが、
休暇をとって渡英し、相当な成功をおさめ
翌年帰国した。

その後、再びイギリスに招かれ、当時のアン女王の
寵愛を得ることになり、英国上流社会での人気を
一身に集め、ハイドンはハノーヴァー選挙候の
再三の帰国命令を無視した。

しかし、1714年にアン女王が急逝し、次の国王は
ハノーヴァー選挙候がジョージ一世として即位した。
不義理をしていたヘンデルは不遇の身となってしまった。

逸話として、翌年テームズ河上で行われた
王の舟遊びの宴の際、楽隊とともに船に乗り密かに
王のために作曲した「水上の音楽」を奏でた。
王はその音楽にひかれ、繰り返し演奏を求め、
再び王宮への出入りを許可されたのだった。

第1曲 アレグロ          
第2曲 アリア           
第3曲 ブーレー          
第4曲 ホーンパイプ        
第5曲 アンダンテ・エスプレッシヴォ
第6曲 アレグロ・デチーソ     

明るく爽やかなイタリア風の「水上の音楽」は
全部で一時間をこえる大曲のため、名指揮者の
ハミルトン・ハーティの編曲によるものを、
組曲の形で演奏されることが多かったが、
現在では指揮者の解釈でオリジナルの楽譜を
組曲ごとに演奏することもある。



(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) ヘルベルト・フォン・カラヤン   
    ♪ 私が聴いた音源 ♪


【 組曲「王宮の花火の音楽」HWV351】は、4月15日に掲載





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