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...... 2019年04月01日 の日記 ......
■ 「24の前奏曲」   [ NO. 2019040101-1 ] s

【 ショパンの主題による変奏曲 Op. 22 】

ラフマニノフ,セルゲイ・ヴァシリエヴィチ〔露〕
(1873.04.01〜1943.03.28) 70歳  癌



二十世紀ロシアを代表し、モスクワ学派の1人に
あげられるラフマニノフは、由緒あるロシア貴族で、
近衛の隊長だった父と教養高い母との間に
ノヴゴロト州のオネグで146年前に生まれ、
カリフォルニアのビヴァリー・ヒルズで、生涯を閉じた。

4歳のときから母についてピアノを学び始めたが、
農奴解放以後の社会的変動の中で、父は次第に
領地を失い、ラフマニノフが9歳のときに
両親は別居し、母と共にペテルブルクに移り、
その地の音楽院でピアノを学んだ。

ラフマニノフと同時代のロシアには、急進的手法を
追求したスクリャービンや、アカデミズムな
傾向の強いグラズノフがいたが、彼はあくまでも
保守的な一線を固守し、チャイコフスキーの
伝統への復帰こそ、ロシアの音楽の
正しい道であると考えていた。

彼は、叙情性とセンチメンタリズムを特徴とする、
チャイコフスキーの伝統を受け継ぐ
モスクワ学派の1人にあげられる。

1917年の末に、ソヴィエト政権を嫌って
パリに亡命し、翌年アメリカに移り永住の地と定めた。
毎年、春にはアメリカでの演奏会、夏には
スイスで静養し、秋にヨーロッパを演奏旅行する、
といった生活を繰り返した。

ピアニストとしてのラフマニノフは、巨体からくる
精力的な演奏と超人的な技巧とによって、
絶大な人気を得ていた。

ロシア革命が彼の生活を根本から覆したが、
1940年ころ、祖国ロシアに復帰する意志が
あったものの、第二次世界大戦のため
それは実現できなかった。

彼の作品で最も重要なのはピアノ曲で、傑作と
認められているものは、ほとんどこの分野に属している。

作曲家であると同時に、稀にみるヴィルトゥオーゾ
として、壮麗豪華な演奏で巨匠とうたわれた
ピアニストであったラフマニノフにとっては、
これは当然のことであった。

ラフマニノフは、ショパンの作品から強い影響を
受けていて、前奏曲をはじめ、ワルツや
マズルカといったショパンが得意としたジャンルの
作品も作曲している。

ピアニストとしても、自らのコンサートでしばしば
ショパンの曲を取り上げて演奏している。
「ショパンの主題による変奏曲」は30歳の年の
1903年に書かれた。

ショパンの「24の前奏曲 第20番」の旋律を
主題にして22の変奏曲が続く。



       (ピアノ)ダニール・トリフォノフ
             ♪ 私が聴いた音源 ♪




         

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