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...... 2018年07月09日 の日記 ......
■ 《 自由な編曲 》   [ NO. 2018070901-1 ] e_or

【 組曲「ロッシニアーナ」】

レスピーギ,オットリーノ 〔伊〕
(1879.07.09〜1936.04.18) 57歳 心臓病



レスピーギは139年前の7月9日に音楽家の父と、
感受性の強い教養豊かな母との間に、
ボローニャで生まれた。

類い稀なるオーケストレーションの名人として
知られているレスピーギの音楽は、師の
リムスキー=コルサコフが鮮やかな水彩画とすれば、
彼は極彩色の油絵に例えられている。

限りなく永遠の都ローマを心から愛し続け、
演奏旅行以外はローマを離れることがなかった
レスピーギは、56歳のときに軽い流行性感冒に似た
病気になり、それがこじれて心臓病で世を去った。

彼は「古代ローマ帝国の復権」を訴えた独裁者
ムッソリーニの熱心な支持者だったが、
彼の死の翌月、ムッソリーニはエチオピア併合を宣言し、
2年後にはユダヤ人迫害が始まっている。

レスピーギは、好んで古い音楽を現代的に
生かした人で、34歳のときにローマの
サンタ・チェチリア音楽学校教授になって以来、
同校の図書館の豊富な文献を自由に
利用できることになり、増々そういう懐古的、
郷愁的な傾向を強く示すようになった。

イタリアの先輩の作曲家ロッシーニを大いに
尊敬していて、1919年にロッシーニの音楽を
生かして「風変わりな店」というバレエ音楽を
書いたが、1925年に書いた「ロッシニアーナ」も、
ロッシーニの音楽を現代的に再生させたものである。

ペサロのロッシーニ音楽院に保管されている
彼の小品集「老年のいたずら」は、歌曲、
独奏曲、室内楽曲などほとんど全て出版されず
200曲ほどが納められている。

「風変わりな店」も「ロッシニアーナ」もこの小品集の
中の一曲で、「ロッシニアーナ」は、標題をもつ
4つの楽章からなり、レスピーギ得意の管弦楽法と
近代的な和声で自由に編曲している。

        第1楽章 カプリとオタルミーナ
        第2楽章 悩み 
        第3楽章 間奏曲
        第4楽章 純潔のタランテラ



       (管弦楽)スイス・ロマンド管弦楽団
       (指揮) エルネスト・アンセルメ
             ♪ 私が聴いた音源 ♪





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