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...... 2018年07月01日 の日記 ......
■ 《 裸の踊り   [ NO. 2018070101-1 ] s

【 ジムノペディ 】
               
サティ,エリック 〔仏〕
(1866.05.17〜1925.07.01) 59歳 肋膜炎〜衰弱



ドヴュッシーが印象主義で近代音楽の先駆者と
なったのに対し、サティはそれよりも一層新しい
近代音楽である新古典主義音楽の先駆者だった。

第一次大戦の直後に現われて、めざましい
音楽活動を展開したフランスの六人組(プーランク、
ミヨー、オネゲル、オーリック、デュレ、タイユフェール)の
芸術は、サティーを精神的な父とし、彼の支持、
擁護、激励によって成長し、開花した。

サティーは、シンプルなものが健康であると
考えていたが、単純だけを意味するものではなくて、
純一、簡潔、簡素、素直、無邪気、天真爛漫、純朴、
平易、人の良さなどを含んでいる。

若い音楽家たちからは指導者として尊敬されたが、
彼はそれを嫌い、晩年は寂しい日々をおくり
作品も忘れられていった。
肝臓が悪くなり日々痩せていき、
肋膜炎が悪化して、87年前の7月1日に
聖ジョゼフ病院で、貧しく世を去った。
彼の音楽が見直されたのは、
死後50年くらい経ってからのことだった。

「ジムノペディ」は1888年、サティが22歳の時に
書いた3曲のピアノ曲集で、彼が発表した
4番目の曲になる。
フローベルの小説「サランボー」を読み、
それから霊感を得て書かれた。

ジムノペディとは、古代スパルタで行なわれた
ディオニシウスの祭の名で、その祭では青年たちが
戦没した勇士を悼んで裸の踊りを踊るが、
この曲はその踊りの音楽である。

テンポがきわめてゆるく、単調であるが簡素で、
静かで、荘厳な中に東洋風なやや悲し気な
旋律が全曲を貫いている。

作曲以来長く認められなかったが、22年後の
1910年1月に彼の友人ならびにラヴェルの
力によって、その第3曲が他の初期の
ピアノ曲とともに演奏会で演奏されて成功し、
それとともに不遇だった彼の名が認められ始めた。

そしてそれから数カ月後に、ドヴュッシーが
管弦楽に編曲した2曲が演奏されて再び成功し、
それ以来しばしばパリの演奏会曲目に
加えられるようになった。

        第1番「ゆっくりと悩めるごとく」
        第2番「ゆっくりと悲しげに」
        第3番「ゆっくりと厳かに」



           (ピアノ)小川典子
            ♪ 私が聴いた音源 ♪





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