[PREV] [NEXT]
...... 2018年06月10日 の日記 ......
■ 《 抒情的 》   [ NO. 2018061001-1 ] e_co

【 Vn・Pfと弦楽四重奏のための協奏曲
           ニ長調 作品21 】


ショーソン,エルネスト〔仏〕
(1855.01.20〜1899.06.10) 44歳 事故死



フランス近代の作曲家のショーソンは、
パリの裕福な家庭に生まれたが、虚弱であったため
両親は息子の教育を、一人の家庭教師にゆだねた。

芸術家や知識人との親交が深く、教養人だった
家庭教師から受けた影響は大きく、文学、絵画、
音楽といずれの分野にも才能を開花させた。

父親の意向で法律を学び、弁護士の資格を
取得したものの、音楽の道に踏み込む決心をして、
25歳でパリ音楽院に入学した。
マスネーの作曲のクラスに入ったものの
師との肌合いが合わなかったためか、
フランクに教えを仰ぐようになった。

フランクは音楽院ではオルガンの教授であって、
作曲のクラスは受け持ってなかったが、
その教室には彼の作風を慕う多くの若い学生が
絶えず出入りしていた。

彼はこうして、晩学ではあったが、フランクに
強く影響を受け、リリックな音楽を得意とする
ロマン主義の作曲家となっていった。

44年の短い生涯の間に、交響曲、管弦楽曲、室内楽
歌曲、オペラなど、多岐にわたる分野で作曲した。
フランスの最も清純な、ロマン派的音楽を作り上げた
重要な作曲家といわれている。

彼の作品は繊細で美しく憂愁をたたえ、抒情的だが、
器楽作品としては超一流のものとは認められてない。
しかし、聴く者の心を強く惹きつけるものをもっている。

28歳のときに画家のルノアールの計らいで
知り合った女性と結婚し、二人の子どもにめぐまれた。
44歳のときの6月10日、長女と2人でそれぞれの
自転車に乗り、パリから戻ってくる妻と子どもを
迎えるため、近くの駅に向かった。
長女はしばらく行って父親の姿が見えないのに気づき
引き返すと、柱に頭をぶつけ、こめかみを砕かれて
倒れている父親が・・・・即死だったようだ。

「たとえ1頁であっても、人の心にしみとおるものを
書かずには倒れたくないと、ただそれだけを
願っています・・」という言葉を残しているが、
フランスの最も清純な、ロマン派的音楽を作り上げた
重要な作曲家と言われている。

36歳のときに作曲した
「ヴァイオリン・ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲」は、
4楽章からなり、ショーソン自身によって「協奏曲」と
名付けられているが、編成はヴァイオリンとピアノと
弦楽四重奏の室内六重奏である。

ベルギーのヴァイオリニストで作曲家の
ウジェーヌ・イザイに献呈された。
イザイはフランクの影響を受けた作曲家たちで
フランキストといわれる人たちの作品を
高く評価し、彼らの活躍を応援していた。

初演はショーソンの希望通りに、イザイがヴァイオリンの
ソロを担当し、作曲の翌年にブリュッセルで行われた。

イタリアのシチリア舞曲の素朴な旋律に一貫されている
第2楽章は、ショーソンのリリシズムが
最も美しく現われている。

       第1楽章 Dècidè - Calme - Anime
       第2楽章 Sicilienne
       第3楽章 Grave
       第4楽章 Finale: Très animè



     (ソロ・ヴァイオリン)オーギュスト・デュメイ
     (ピアノ)    ジャン・フィリップ・コラール
     (ヴァイオリン) ルシー・シュトルツマン
     (ヴァイオリン) ベイラ・キューズ
     (ヴィオラ)   スティーブン・パンセ
     (チェロ)    マイケル・レイノルズ     
                ♪ 私が聴いた音源 ♪






...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: