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...... 2015年01月25日 の日記 ......
■ 《 NEU JAHRS KONZERT 2009 》   [ NO. 2015012501-1 ] or

【 南国のバラ 作品388 】

ヨハン・シュトラウス二世  〔墺〕
(1825.10.25〜1899.06.03) 73歳  肺炎



“音楽の都”ウィーンでは、毎年元旦に、
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による
ニュー・イヤー・コンサートが開かれ、
その模様は日本をはじめ、世界各国に
生放送で配信されている。
(今年は71の国と地域)

プログラムは、ワルツやポルカといった
肩のこらない楽しい曲目が多く、シュトラウス一家の
楽曲が中心である。

ニュー・イヤー・コンサートを始めたのは、
生粋のウィーンっ子で、ワルツを振らせたら当代一と
うたわれた名指揮者のクレメンス・クラウスだが、
最初のコンサートは1939年の大晦日のことだった。

その後第二次世界大戦の影響で空白があり、
定期的に開催されるようになったのは、終戦の年、
1945年の大晦日〜翌1946年の元旦からである。

敗戦の痛手からまだ回復していなかった
ウィーン市民の心に、希望の灯をともそうと開かれた
演奏会は、クラウスの願い通り、ウィーン市民を
元気づけ、復興への活力となった。
現在では世界中の音楽愛好家の
注目する催しとなっている。

今日、ウィーン楽友協会大ホールで開催された
コンサートでは、ニューイヤーコンサート初登場となる
ダニエル・バレンボイムが指揮を務めた。

プログラムの5曲目には、バレンボイム夫人エレナの
リクエストの「南国のバラ」が演奏された。

1880年作曲の喜歌劇「女王さまのレースのハンカチ」
からとられた、4つのワルツと後奏からなる。

今年、没後200年になるハイドンの告別交響曲では、
楽しいパフォーマンスも見せた。



*Neu Jahrs Konzert プログラム* は26日に
    


《NEU JAHRS KONZERT 2008》

【 ナポレオン行進曲 作品156 】

ヨハン・シュトラウス二世  〔墺〕
(1825.10.25〜1899.06.03) 73歳  肺炎



今日、ウィーン楽友協会大ホールで開催された
コンサートは、フランスの指揮者で83歳の
ジョルジュ・プレートルが指揮を務めた。

プログラムの最初は「ナポレオン行進曲」で、
フランスに関した題名の曲が多く演奏された。

コンサートの音楽に合わせて登場するバレエも、
このイベントならではの魅力のひとつだが、
ウィーンの名所でバレエのパフォーマンスも披露された。
舞台となったのはアルベルティーナ美術館や
カールス教会前広場などだった。

またサッカー欧州選手権の開催を意識した
楽しい演出は会場を沸かせた。


    
《NEU JAHRS KONZERT 2007》

【 ポルカ「ブレーキかけずに」作品238 】

エドゥアルト・シュトラウス 〔墺〕
(1835.03.15〜1916.12.28) 81歳 



今日、ウィーン楽友協会大ホールで開催された
コンサートは、98年以来9年ぶり4回目の登場となる
ズービン・メータが指揮を務めた。

“ワルツの父”ヨハンの長男の“ワルツ王”
ヨハン・シュトラウスの作品である、
『ウィーンの森の物語』『美しき青きドナウ』
『皇帝円舞曲』などが好んで演奏されるが、
同じ曲を演奏しないズービン・メータの選曲は、
アンコール曲で演奏された第2の国花とも
いわれている「美しく青きドナウ」と
「ラデツキー行進曲」だけだった。

コンサートの音楽に合わせて登場するバレエも、
このイベントならではの魅力のひとつだが、
ウィーン国立歌劇場やフォルクスオーパーのバレエ団、
またバイエルン国立歌劇場バレエ団のソリストが、
華麗なパフォーマンスを披露した。

ポルカ「ブレーキかけずに」は、
ヨハン・シュトラウス一世の3男のエドゥアルトの
作品で、鉄道労働者の舞踏会のために
作られたポルカである。

エドゥアルトは、兄のヨハンやヨーゼフにおされて
陰に隠れがちだったが、二人の死後は、
シュトラウス管弦楽団の指揮者をつとめた。
楽団の解散後は、父と兄の残した作品を伝承した。




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