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...... 2015年01月14日 の日記 ......
■ 《 ニュー・イヤー・コンサート 2012 》   [ NO. 2015011401-1 ] or

【 鍛冶屋のポルカ 作品269 】

ヨーゼフ・シュトラウス 〔墺〕
(1827.08.20〜1870.07.21) 42歳 脳卒中



“音楽の都”ウィーンでは、毎年元旦に、
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による
ニュー・イヤー・コンサートが開かれ、その模様は
日本をはじめ、世界各国に生放映で配信されている。

音楽好きのウィーン市民は、ニュー・イヤー・コンサートを
聴いて新しい年を迎える。
プログラムは、ワルツやポルカといった
肩のこらない楽しい曲目が多く、
シュトラウス一族の楽曲が中心であるが、今年は
指揮がロシアのヤンソンスということで、
チャイコフスキーのバレエ音楽「眠りの森の美女」の
“パノラマ”と“ワルツ”も演奏された。

“ワルツの父”ヨハンの長男の“ワルツ王”
ヨハン・シュトラウスの作品である、『ウィーンの森の物語』
『美しき青きドナウ』『皇帝円舞曲』などが好んで演
奏されるが、この中の『美しき青きドナウ』が
アンコール曲だった。

ニュー・イヤー・コンサートを始めたのは、生粋の
ウィーンっ子で、ワルツを振らせたら当代一と
うたわれた名指揮者のクレメンス・クラウスだが、
最初のコンサートは1939年の大晦日のことだった。

その後第二次世界大戦の影響で空白があり、
定期的に開催されるようになったのは、終戦の年の
1945年大晦日〜翌1946年の元旦からである。

敗戦の痛手からまだ回復していなかった
ウィーン市民の心に、希望の灯をともそうと開かれた
演奏会は、クラウスの願い通り、ウィーン市民を
元気づけ、復興への活力となった。
現在では世界中の音楽愛好家の注目する
催しとなっている。

今日、ウィーン楽友協会大ホールで開催された
コンサートは、マリス・ヤンソンスが指揮を務め、
3曲はウィーン国立バレエ団のバレエが、2曲は
ウィーン少年合唱団の合唱が加わった。

「鍛冶屋のポルカ」 の作曲者のヨーゼフは
ヨハン・シュトラウス家の3兄弟の次男だが、
おとなしい性格で、音楽も好きだった。
父の意志に従って建築技師となり、仕事の余暇には
発明に没頭して、特許を申請したりしていた。

26歳のときに兄のヨハンが過労で倒れ、
代理指揮者として舞台に立つようになり、
その後、本格的に作曲の勉強を始めた。
詩、絵画には深い造詣を持ち、
後に作曲に生かされている。

ヨハンは陽気でおしゃれで、短気で行動的だったが、
ヨーゼフは静かで、内気で、無口で、
兄とは全く対照的な性格だった。 
音楽的才能は非常に豊かで、ヨーゼフの指揮は
好評で特に女性たちから支持されていた。

ピアノの小品と舞踏音楽に専心し、
280曲以上もの作品を作曲しているが、
兄とは違い社交的でなく孤独を愛する
性格だったこともあり、短調の作品が多い。

神経質なヨーゼフは、突然の母の死で
ひどいショックをうけ、気がすすまない
ワルシャワでの演奏会の指揮をしているときに
指揮台から転がり落ち、後頭部を強打して失神した。

妻とヨハンがかけつけてウィーンに運んだが
これが結局、彼の命取りとなり、
脳卒中で42年の生涯を終えた。

長生きをすれば、兄以上にすばらしい作曲家に
なっていたかもしれないと、兄自身が認めていた。
ウィーンでは「舞曲のシューベルト」と呼ばれていたが、
彼の音楽の源泉はシューベルトにあった。

今日演奏された「鍛冶屋のポルカ」は、
ヨーゼフの最も有名なポルカ・フランセーズで、
ウィーン少年合唱団の合唱と、打楽器に用いられる
鉄床(かなどこ)をヤンソンスが叩いた。

プログラムは15日に





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